f/22

作り手によるドキュメンタリー批評

作品紹介

f/22的 自宅で観れる配信ドキュメンタリー作品

※随時更新していきます。

『春を告げる町』  監督:島田隆一 130分
  ※川上拓也(f/22 編集員)秦岳志(f/22 第2号「VOICE 作り手による機材レビュー」寄稿) 参加作品

『日没の印象』   監督:鈴木志郎康 23分
  ※f/22第2号 村上賢司「f/22への応答 個人映画の世界」にて紹介

『ドキュメント拉致~ Abduction ~』 監督:朴信浩 78分

『FAKE』 監督:森達也 109分
  ※f/22創刊号「キャメラマン不要論」寄稿
   f/22第2号イベント「撮られる者たちの眼差し」トークゲスト

『1994』 全5話
  ※f/22第2号 嘉山正太「日本から遠く離れて コーディネーターの仕事/海外ドキュメンタリー」にて紹介

『天皇ごっこ 見沢知廉たった一人の革命』監督:大浦信行 115分
  ※辻智彦(f/22編集員 参加作品)

『遠近を抱えた女』 監督:大浦信行 97分 ※公開終了 
  ※辻智彦・川上拓也(f/22編集員)参加作品


編集委員・辻がお送りする、配信中の超面白いマジおすすめドキュメンタリー特選4本!

・『わらってあげる』
・『ミステリアス・ピカソ – 天才の秘密』
・『選挙』
・『シェルカウイ 踊りで世界を救う、41日の闘い』


松林要樹監督 おすすめ配信ドキュメンタリー!

・『Russia from my Window』 


『春を告げる町』

川上拓也(f/22 編集員)/
秦岳志(f/22 第2号「VOICE 作り手による機材レビュー」寄稿) 参加作品

http://www.temporary-cinema.jp/harumachi/

https://hirono-movie.com/#pagetotop

東日本大震災の発生直後から全町避難を余儀なくされ、東京電力や自衛隊の前線基地となった福島県双葉郡広野町。あれから9年――「復興五輪」をかかげる2020年東京オリンピックの聖火リレーは、この町からスタートする。

けれど、その「復興」って何だろう? 「絆」「再生」「共同体」といった言葉に、つい白々さを感じてしまう……そんなあなたにこそ、この映画を観てほしい。

『春を告げる町』が描くのは、華やかでシンボリックなセレモニーの後景で、こつこつと日々の暮らしを築いていく人びとの営み。この土地で新たに生まれ、すくすくと育っていく子どもたちの物語。被災体験をモチーフに演劇をつくりあげる高校生たちの青春。広野町を流れるいくつもの時間が交差し、重なりあい、やがて未来をかたちづくっていく。

監督は『ドコニモイケナイ』で2012年度日本映画監督協会新人賞を受賞した島田隆一。編集を手がけたのは『息の跡』『愛と法』などの秦岳志。果たして本当の復興とは何か? 言葉にできないその答えを、映画はそっと静かに映しだす。

監督・撮影・プロデューサー:島田隆一
助監督・録音:國友勇吾
編集:秦岳志
整音:川上拓也
音楽:稲森安太己
130分


『日没の印象』

f/22第2号 村上賢司「f/22への応答 個人映画の世界」にて紹介

 この『日没の印象』は、わたしの個人的な映画表現の出発点になった作品。1971年から東京造形大学に非常勤講師として行くようになり、学生たちに詩の話をしたり、ゼミで映画を作らせたりしているうちに、既に8ミリで映画の真似事をしていたので、自分なりの映像表現をしたいという気持ちが募ってきた。そして、中古カメラ店のウインドウに「CINEKODAK K」を見つけて、それを使って個人で映画を作ることをはっきりと自覚した。一方で、NHKの映画カメラマンとして働いていたから、マスメディアの何たるかをそれなりに知っていて、それらの作品とは全く違うパラダイムを開くということを考えた。マスメディアが一般性という抽象的な方向に向いているの対して、あくまでも個人の固有性に目を向けた具体的なイメージの意味を問うという方向に向かった。これが、やがて『景色を過ぎて』『草の影を刈る』『15日間』へと展開して行くことになる。音楽は、アルゼンチンタンゴのアルバムから借りた。制作1975年。作者、40歳。

(Shirouyasu Homepage 志郎康ホームページ Ring, Link, Rip.より引用)
catnet.ne.jp/srys/

監督:鈴木志郎康
23分


『ドキュメント拉致~ Abduction ~』

「在日韓国人監督による 衝撃のドキュメンタリー」

普通に暮らしていた、普通の日本人が、
ある日、突然、工作員によって外国に誘拐される。
身の毛もよだつような、怖ろしい犯罪である。

そして拉致事件から40年が経っても
帰りを待っている家族の方々がいる。

だがこの問題を描いた映画は少ない。
テレビでも取り上げられる機会も少なく、
政治家たちも積極的に動いているように思えない。
本来ならば日本が国家官民一丸となって、
誘拐された被害者たちを取り戻さなくてはならない
問題のはずであるが、
一向に事件解決への進展が見えない。

こうなると、日本側にも、
拉致問題を『なかったことにしよう』とする
存在があるのではないかと、
疑念を抱かざるをえない。
または警察側にも発表できない、
報道側にも報道できない
「何か」の理由があるのではないか?

在日韓国人として日本で生まれ育ち、独自の視線で衝撃的なドキュメンタリーを
製作し続けてきた映像作家、朴信浩(パクシンホ)監督は語る。

「国籍は韓国だが育ててくれた日本に感謝している。日本に恩返しをしたい。在日韓国人として、なぜ、どうやって拉致したのかを追求したい。」との思いで、拉致問題の研究の第一人者、特定失踪者問題調査会、荒木和博先生にインタビューを敢行。福井県への現地調査を実施した。

タブーを怖れない朴監督ならではの生々しい聞き込み。
拉致工作の実態をリアルに再現した迫力の再現ドラマ映像。
これまでにない衝撃のドキュメンタリー映画である。

製作 配給 ACT FACTRY TOPIX
監督:朴信浩 
撮影:大久保礼司
音楽:SK
78分


『 FAKE』

監督:森達也 (f/22創刊号「キャメラマン不要論」寄稿/f/22第2号イベント「撮られる者たちの眼差し」トークゲスト)

『A』『A2』以来実に15年ぶりの森達也監督作。佐村河内守氏の自宅でカメラを廻し、その素顔に迫る。取材の申し込みに来るメディア関係者たち、ことの真偽を取材に来る外国人ジャーナリスト…。市場原理によってメディアは社会の合わせ鏡となる。ならばこの「ゴーストライター騒動」は、社会全体が安易な二極化を求めていることの徴候と見ることもできる。 はたして何が本当なのか? 誰が、誰を騙しているのか?
映画は、この社会に瀰漫する時代の病をあぶりだしながら、衝撃のラストへとなだれ込む。

監督:森達也
撮影:山﨑裕
109分

 


『1994』 

全5話 ※ネットフリックスへの登録が必要

f/22第2号 嘉山正太「日本から遠く離れて コーディネーターの仕事/海外ドキュメンタリー」にて紹介

https://www.netflix.com/jp/title/80991872


(f/22第2号 「日本から遠く離れて コーディネーターの仕事/海外ドキュメンタリー メキシコ1994/日本1995」より抜粋)

その年は不穏な雰囲気から始まった。

一月には突然起こった大地震によって神戸の街が火の海と化し、三月には東京の地下鉄に撒かれたサリンによって多くの人々が倒れた。五月には劇場型の殺人事件が起こり、犯人として少年が逮捕された。良く覚えている光景がある。一月と三月の事件は両方共に朝早くに起こり、いつもは消されている学校のテレビがその時だけは点けられ、かじりつくように画面を眺めた。誰も言葉を発することなく画面に映る陰惨な映像を眺めるだけだった。五月の事件の時は修学旅行先の関西にいた。僕らにとっては楽しい旅先で事件は起こり、自分たちとほぼ同い年の少年の逮捕ということに衝撃を受けていた。

あなたはあの時どこにいて何をしていましたか?

そんな質問が生まれるほどに、日本にとってその年、一九九五年というのは時代に楔を打った年として多くの人に記憶されている。一九九五年と呟くとき、何かしら特別な記憶や感情を思い起こす人は多い。幼かった僕にとっては世界がフィクション化したような不思議な感情を持った。まるで映画のようだ、と何度となく繰り返して言われてきた陳腐な台詞。だが、そうとしか形容しようがなかった。未だに覚えている各事件のディティール、その強度。現実のフィクション化、或いはフィクションの現実化という、つまり、想像を超えるような出来事がこの年を境に次々に起こるようになったように思う。そういった印象を与えるほどに一九九五年という年は、日本において記憶に刻み込まれている。

そして、特別な年は世界のどこの国も抱えている。堰を切ったように現実がフィクション化してしまう年が現れる。

それが、メキシコでは一九九四年だという。この年は忘れることの出来ない年として記憶されている。僕達にとっての一九九五のように。同世代であるメキシコ人は僕に語る。一九九四年以降に何もかもが変わった気がする。まず大切なことは、あの年以降、一体何がこの国に起こっているのかよく分からなくなったんだ。つまり、混乱がまだ続いているし、僕も混乱してるのさ、と。

それから二五年後の今年、その一九九四年をテーマにしたドキュメンタリーが遂に登場し、メキシコ社会に衝撃を与えた。

タイトルは、1994。

ドキュメンタリーは、一九九四年の時系列を追った形で進み、その当時に起こった事件の当事者がほぼ全員登場する(当時の大統領も含まれる)インタビューベースのドキュメンタリーとして構成されている。描かれているのは、元日の先住民ゲリラ組織のサパティスタ蜂起、学生を中心としたサパティスタ運動の拡大と政権与党の失墜、そして物語の核となる大統領選中の与党候補の公衆の面前での殺害(コロシオ氏暗殺)、その後の殺害犯を巡る疑惑(替え玉疑惑)、指示をしたと疑われる現職大統領の兄弟の逮捕、そして通貨暴落へと続く経済の破綻と社会不安。これだけの出来事が一年の間に起こり、その後のメキシコに影を落とした。各出来事に共通するテーゼは暴力である。ゲリラ蜂起という武力行使、改革派であった与党候補の暗殺。候補以外にも多くの政治家が殺害された。年の始まりからゲリラ蜂起によって、文字通り、国が二分する事態となり、そして北米自由協定NAFTAの締結・発行が行われ経済的にも格差が広がっていくこととなる。物理的な暴力から構造的な暴力までが行使されたというのが正直な印象である。

余談だが、常々メキシコで生活する中で、政治的にメキシコと日本の相似性ということに目が行く。まずは両国ともに一党政権体制が非常に長い間続いた歴史があるということ。メキシコではメキシコ革命を継続させるために創設されたPRI党であり、日本は勿論、自民党である。両政党ともに政党内に保守と革新を抱えながら時代と共に歩んでいく。また、大国・米国の影響が両国とも非常に大きいという点も指摘したい。共に、米国の隣国であるという点でも相似関係である。メキシコは陸の国境で接しており、日本と米国は海の国境で接している。共に、九〇年代以降の新自由主義体制への移行へ、米国の影響による推進が強くあった点も挙げられる。

ドキュメンタリーは当時の映像を使いながら、それを振り返る形で事件の当事者達が語るのだが、それが非常に興味深い。インタビューを受ける者をフィックスの正面から見据えたショットで撮影し、見ているものに実際にその人物と対峙しているような印象を与える。そんなインタビューを見ながら非常にスリリングな瞬間を画面から何度も感じる。ドキュメンタリー中に、大統領候補の暗殺に関して何度も疑惑が語られるのであるが、その疑惑の当人自身が数多く証言しているからである。つまり、視聴者である我々は、誰かは〈もしかしたら〉本当のことを語っていない可能性を感じながら見ることになる。勿論、誰もが私が指示を出した。私は指示を受けていたということは言わないし、番組も何かを示唆する手法はとらない。だが、だからこそ何かをカメラは白日の下に晒そうとする。それはカメラが持つ残酷な機能、感情を排し映るもの所作だけを切り取るという機能が存分に発揮されている。数多くのインタビューが行われ、コメントがメインで構成される、いわゆる海外のドキュメンタリーではある。だが、この作品においては過剰にインタビューを用いることで、まるでラテンアメリカ文学のような、数多くの〈ボイス〉を同時に鳴らすことで、多様性と〈嘘と真実の境目〉を照らしているかのように見える。

 

この続きはf/22第2号


『天皇ごっこ 見沢知廉たった一人の革命』

熱狂的な賛と否。進歩的メディアからほぼ黙殺された大浦信行2011年作品。ここにHDリマスターで蘇る。「天皇」と「革命」日本を繰り返し熱狂に駆り立ててきたあまりにも危険で甘美な2つの神話狂気と祝祭の115分!世紀末から新世紀、左の極から右の極へと政治の荒野を駆け抜け、人を殺め、獄中で小説「天皇ごっこ」を執筆し、2005年に夭折した異端の作家・見沢知廉。この映画は、見沢知廉の思想と行動を追想し、彼に関わった人々の証言や、彼自身の著作、日本の原風景のイメージなどを、挑発的な映像と音響で描写した、この現実の裏側に潜む「神話的時空」を旅するロードムービーである。見沢知廉は、迷宮(現実)からの脱出を希み、天(革命)に憧れ、太陽(天皇)に翼を灼かれた現代のイカロスなのか。監督は「遠近を抱えて」連作において、5度に渡る権力からの展示禁止処分を受けた美術家・大浦信行。見沢知廉と同じく「天皇」と「革命」に魅入られた大浦信行が映像にコラージュした、「天皇ごっこ」という、最も危険な遊戯。「たった一人の革命」が、今始まる。

見沢知廉(みさわ ちれん)本名 高橋哲央
1959年、東京都生まれ。
中学3年より既成右翼の活動を手伝った後暴走族に。
1976年、高校2年で新左翼のブント・戦旗派学生同盟員となり、成田管制塔事件などのゲリラ闘争に参加。
1980年、東京サミットで決起しなかった新左翼に失望。新右翼の一水会、統一戦線義勇軍に参加。一連の反米反ソ火炎瓶ゲリラを指揮する。
1982年、スパイ粛清事件で逮捕。千葉刑務所に12年間収監。
1994年、獄中執筆小説「天皇ごっこ」第25回新日本文学賞を受賞。
2005年9月7日、自宅マンションより投身自殺。享年46歳。

見沢知廉の映画をつくろうと思ったそもそもの動機は、実は彼とぼくは、コインの裏表なのではないか、と思ったからだった。ぼくは、彼のようにはアクティブには生きれなかったけど、彼の心の奥底に巣くう深い闇が、ぼくが抱え込んでいるどうしようもない焦燥感と世界に対する異和として、お互いに共鳴しあっているのではないかと思った。見沢とぼくは「双子の兄弟」なのかもしれない。だから、見沢知廉の軌跡と無念の想いを、悲劇的神話の旅として描いたのだ。そしてその時、ぼくはもう一人の自分に出会うだろう・・・見沢の声が遠く谺している・・・  監督 大浦信行

出演(登場順)
あべあゆみ(舞台女優)
設楽秀行 (見沢の親友)
鈴木邦男 (一水会顧問)
森垣秀介 (民族の意志同盟中央委員長)
針谷大輔 (統一戦線義勇軍議長)
雨宮処凛 (作家)
蜷川正大 (二十一世紀書院代表)
高橋京子 (見沢の母)
中島岳志 (政治学者)

制作     国立工房
撮影・編集  辻智彦
録音     川嶋一義 塩浜雅之
脚本・監督  大浦信行
115分


『遠近を抱えた女』 ※公開終了

辻智彦/川上拓也(f/22編集員)参加作品


ここに一人の女性がいる。舞台女優・あべあゆみ。彼女は全身に刺青を入れ、身体を売り、蝋燭の炎に進んで身を委ねる。貧困と痛苦に満ちた彼女の生活は、しかし身体感覚をよりどころとする確かな生き方にも見える。同時にこれは監督/美術家・大浦信行自身の「魂の自叙伝」でもある。あべあゆみの身を焦がす炎は、そのまま大浦の作品を焼き尽くす炎とも重なってくる。哀しみを湛えた洞察力で放たれる大浦自身の言葉が、あべあゆみの身体とスパークし、映画の中で臨界点を迎えることになる。その時彼女は覚醒する。自分の身体に刻み込まれた牡丹の甘い香りに導かれるように・・・

・第40回ブリュッセル独立映画祭オープニング作品
・国境なきドキュメンタリー映画祭2019 最優秀作品賞 最優秀撮影賞
・コンセプション・インディペンデントフィルムアワード2019 正式招待
・ウェリントン・インディペンデント映画祭2020 正式招待
・New Vision International Film Festival2019 Official Selection

製作:ハイクロス シネマトグラフィ  制作:国立工房
出演:あべあゆみ 双鬼  廣末哲万 コラアゲンはいごうまん  有末剛 
録音・編集:川上拓也
撮影・プロデューサー:辻智彦
監督:大浦信行
97分


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